実は、7月下旬の出来事なのだが。
 きっかけは、メールでの喧嘩。


 実は、今年の初めに別れてから、彼から何度かメールが来ていた。
 その内容は、他愛のない(というか、下らない)ものばかり。付き合っていた頃ならば、その馬鹿馬鹿しさも楽しい要素になっただろうが、今はそんな仲睦まじい関係ではない。他の人に宛ててもよさそうなものなのに、どうして、私に送ってくるのだろう? と、首を傾げていた。
 他には、「奈良に行く用事があるから、一緒に食事でもどうだろうか」というものもあった。しかし、会うのが億劫なので、いちいち断っていた。
 そのうち、彼の態度が腹立たしく思えてきた。何故、今頃になって、ちょくちょく連絡をしてくるのか。しかも、会おうなどと言い出すのか。そのたびごとに断るのも、結構疲れるものなのだ。
 怒りに任せて、メールを打つ。

『ひまつぶしのメールなんぞ、送り付けないで下さい。私をそんな相手として使わないで下さい』

 しばらくして、彼から返事。

『いろいろ言いたいこともありますが、メールでのやりとりに生産性が感じられないので、もうメールも電話もしません。実際、昨日のうちに、君の番号登録等を削除しています。それでは。』

 そうか、それはよかった…などとは思えなかった。自分から拒絶したくせに、番号登録削除をされると、ものすごく動揺した。

『メールではなく、会って話せばよかったのかもしれませんが、多分会いたがらないだろうと思ってメールにしたのです』

というような返信をしたところ、それに対するメールが数通来た。

 痛いところを突かれた。

 彼は、私を見ていると歯痒いのだそうな。
 歯痒い。私はそれを、彼からの拒絶だとばかり思っていた。
 だが、違ったようだ。

 ひとつは、私の自己評価が低いという点。
 そして、もうひとつは、私があまりに自己完結的であるという点。彼が言うには、私が相手の思いを慮ろうとするのはよいところだと思うらしい。しかし、それを口にした瞬間に、それは「押し付け」になる…と。「どうせ、あなたは…と思っているんでしょ」などときめつけられて、私の中で話が完結してしまったら、彼としてもどうしていいかわからず、困ってしまう場合が多々あることも事実、と。

「会って話せばよかったのかもしれませんが、多分会いたがらないだろうと思ってメールにした云々」と私は言うが、絶対そうであると確信を持って言えたのか? 言えたとして、彼がそうは思っていなかったという事実をどう評価するのか、と問われた。
 そう考えていくと、彼に対する私の「配慮」は「邪推」であり「押し付け」であったと言いたくなる、とも書いてあった。

 そうだったのか。

『メールというものは、事務的な話か与太話をするツールです。こういった議論というか込み入った話をするのに適したものではありません。もし「言いたいことがあるのなら言ってほしい」と本気で思っているのなら、あるいはまた、反論というか私が誤解している部分を解きたいと思うのであれば、メールではなく電話を利用するなり、直接会って話をするよう連絡ください。そうでなければ、もうほっといてください。以上です。』

 そういうわけで、会うことになった。


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