システムか人間か

2002年10月3日
 前日の日付の話題から飛ぶようだが、一応、続きの話である。
 
 私は、システムに対する信頼がわりと厚いのかもしれない、と自分では思う。国債がただの紙切れになるとは思わないし(まあ、価値が多少下がるぐらいならあり得るかな、とは思うが)、もしもプラットホームで暴漢に襲われそうになったら、必ずや駅員が助けに来てくれるに違いない、と信じている。
 
 しかし、時には、システムよりも人間の方に重きを置いて考えてしまうこともある。
 手紙を例に挙げると。
 自分が投函してからもうだいぶ経つというのに、相手からの連絡が何一つ無い、という場合。
 私がまず考えるのは、実は、郵便事故の可能性なのだ。何かの手違いで、運送過程のどこかで紛失されているのでは。そういう好からぬことを、思い浮かべてしまう。切手を大量に購入している身でありながら、こんなふうに言うのもおかしいけれど。それに、郵政省(*)や、郵便局員・配達員の方々には、大変失礼で申し訳ないし。
((*)今は省庁再編で、名前が変更されたんだっけ。ちゃんと覚えていないけど、まあ、いいか。<よくないが、とりあえず。)
 
 だが、当然というべきか、そんなことは殆ど無い(この国の郵便配達業務は、かなりの正確さを誇っているらしいから)。大抵は、ただ面倒で、そのまま放っておいている、というのが現状のようだ。
 まあ、それはそれで、別に構わない。手紙が来ないからといって、それだけで気を悪くするほどには、私は子どもじみてはいないつもりだ。手紙は、あくまで私が出したいから出す、それだけのものに過ぎない。
 
 
 前置きが長くなったが、そういうわけで、外国に滞在していた(当時)彼女からの返事が無いのも、はじめは、郵便事情が思わしくないからかと考えていた。そう考えるようにしていた。
 しかし、やはり違った。返事が無かったのは、忙しかったから。いや、より正確に言うと、忙しさを口実にして私と離れたがっていたから、なのだ、恐らく。
 
 別に、疎遠になること自体は、さほど悲しくはない。遠く離れた場所にいても、元気でいてくれれば、それだけでいい(とまで言うと、極端かな?)。私のことを忘れ去ってしまっても、それはそれで、ある意味、仕方が無いのかもしれない。
 だが、今回はただそれだけではないから、ちょっと事情が違う。本人の知らないところで話題にしておき、そのまま、いわば「言い逃げ」の形にしてしまったのだから。
 
 誰も、1年も経ってから、あれこれと問い詰めたりなんかしたくない。私だってそうだった。ただ、国外にいるから、日本に帰って来てから聞くことにしよう、と考えてのことだった。
 それなのに、彼女は突っぱねた。国際電話で近況報告をした折に、私がそのことを切り出しかけたのも、タイミングが悪かった、とのことだが(結局、その時点では諦めた)。帰国後の電話でも相変わらず、私を切り捨てた。一見(「一聞」?)した限りでは、正論を述べているように思える。けれど実際のところは、私本人に直接ぶつければよいことを他の人に話した、ということを、うやむやにするような。そのための、高飛車な物言い。そして、私の言うことに耳を傾けようともしない姿勢。ただただ、保身のために。
 
 あなたが言っていないのならば、では何故、私に関する、あなたしか知らない筈のことを、他の人までもが知っているの?
 
 
 
 
 こんな人を信じようとした私が間抜けだったのかな。

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