先月半ばにもらってきた、山茶花の枝の、その後。
 それぞれに蕾が付いていたのだが、年始に数日留守にしている間に、どれもが花開くことなくぽとりと落ちていた。
 
 蕾のままで咲かずに終わった花。
 花として生まれてきたからには、咲いたほうがよかっただろうに…と思った。
 
 しかし、その後で、違う考えが芽生えた。
 たとえ、花を咲かせることがなくとも、別に悪くはないかもしれない、と。
 死んで花実が生るものか、という言葉があるが、何もそんなに、花や実のことばかりに必死にならなくてもよいのではなかろうか。
 
 よく見れば、花以外の部分、つまりは茎(枝)や葉は、結構しゃんとしている。
 一度は捨ててしまおうか、と考えたものの、思い直して、再び一輪挿しに生けた。
 
 これが、なかなかしぶとい。
 冬の室内、ろくに日も射さず、おまけに空気もよくなかろうが、葉を数枚散らしながらも、水を吸ってわりと元気にしている。
 嬉しい。
 
 
 
 いや、でもやっぱり、葉っぱ一枚だけでは、さすがに困ってしまうけど。闘病生活の心の支えにしてもらうべく、病室の窓から見える壁に描いた『最後の一葉』じゃないんだし。
 けれど、今こうして、青々と葉を茂らせている…とまではゆかずとも、水を吸い上げて懸命に生きている姿というのも、私は好きだ。「根っこが存在してこそ」、の植物の自然の摂理には反しているやもしれないが、元の姿からかけ離れたなりに、頑張っているのが、何だかいとおしい。健気な奴…。(とは、大袈裟か。)
 
 
 そういうわけで、花は咲かず、実も生らねども、もうしばらくは、葉っぱと私の共存生活は続きそうである。
 折角生きようとしているのに、その可能性まで私が摘み取ってしまうのは、ちょっとしのびなくて。
 

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