のどかならざる春の心
2003年3月31日この日、某所の桜を見てきた。
かの地では、奈良よりも開花が早いらしい。3月末、こちらではまだ蕾が大半の状態だったというのに、もう満開に近かったのだから。
毎年のことではあるけれど、やはり見惚れて、調子に乗ってばしばしと写真を撮る(本格的なのではなく、普通のカメラだが)。
梅も好きだけど、やっぱり桜もいいな〜。いずれか片方を選べと言われても、困ってしまう。どちらも好きだから。
…なんていう、変な心配は無用か。誰もそんな選択を迫ったりはしないだろうからな(笑)。
「桜の花粉には、エフェドリンという物質が含まれているので、それが薬(手が後ろにまわる種類のやつ)の原材料になる」
と、本で読んだ覚えがある。(しかも、その著者というのが、あの中島●もなのである。だから、今となってはあまり笑えないのだが…。)
きっと私も、桜の木の下で我知らず、花粉で自然に(?)ふわーっといい気分になっているのであろう。
しかし…。
やたらと烏が多いのが、非常に気になった。
鳴き声もさることながら、木々に止まる姿自体も。
その下には、まだ散り時を迎えていないはずの桜花が、少なからず落ちている。
それを見て、次のような図式を思い浮かべてしまった。
花見客がゴミをろくに片付けず、散らかして帰る
↓
その中の食べ物を目当てに、烏が木の周辺に集まる
↓
彼らが大きな爪で枝に止まる
↓
その影響で、花や蕾が落とされる
↓
…のみならず、当然、枝も傷めつけられる
↓
その結果、木自体の力が弱る
この目でそれを確認することになろうとは。悲しかった。
有名な観桜の場所は、多かれ少なかれそんなことが起こっているのだろうけれど(●山公園とかもそうらしい)、それにしても、ひどい…。
教訓:ゴミは放置すべからず。
いや、かく言う私とて、そんなに偉そうなことを書けた立場ではないのかもしれないけれど。
しかし、まずは、自分の出したゴミを持ち帰ることから始めようっと。
…とか言いながらも、ゴミじゃなくて、落ちた蕾を拾ってしまった私って…。(そもそもこの日は、私はゴミを出さなかったので。)
でも、天寿を全うしないうちに蹴散らされ、地面に落ちて朽ち果ててしまうのでは、何だか痛々しく思えてしまって。
(こういう時、自分が以前にしょっちゅう、ナメクジに塩を振りかけて殺生をしていたことなんかは、あっさりと棚上げしている。やっぱり身勝手だな…(苦笑))
で、その後帰宅してから、水を張った平たい皿に浮かべたり、お猪口に活けたりした。寸足らずなので、それぐらいが丁度良いのだ。
これがなかなか、元気にしている。
短い命だろうけど、なるべく頑張って長生きしてくれよ、と思いつつ、花器に水を注ぎ足す。
ただの自己満足に過ぎないが、それでも結構嬉しい。部屋に花があるということで、だろうか。
「そんな下らないことをして、何が楽しいんだ。この閑人が」
と、人には笑われるかもしれないけれど、それでも別にいいや、と思う。誰に迷惑を掛けているわけでもあるまいし。
とは言うものの…。
呑気に花を愛でていながらも、世の中の情勢が気にならないわけでは、決してないんだけど…。
花のことなんぞで気を揉んでいられるのは、平和で幸せだという証拠なんだろうか…。
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