もはや過去の人、だけど…。 1
2003年4月15日 今日はういろう氏です。
何か、2日続けて人をネタにする、というのも何ですが。
やっぱり彼も忘却の彼方の人でしょうから、一応説明しておきますと、かつて私をモルモットに仕立て上げた人物です。今年2月の日記に書いています。
* * * * * * *
彼の考えが理解しがたい。
いや、人の考えていることというのは、他者にはわからないものだけど、そういう意味で言っているのではない。
彼の場合は、
「どうして、以前に注意したことを繰り返してしまうんだ!」
というようなものである。
正直言って、メールが面白くない。
うなぎパイ氏と同様、
「最近、何かいいことあった?」
といった問いかけが主。
…だから、何でそんなこと聞いてくるん? というより、何でそんな聞き方ばっかりしてくるん?
たとえ面白い話題があったとしても、それをあんたに提供する気、無いっちゅうねん。一方的にそういうふうに要求してくる人なんか相手にしても、楽しくないから。
…と、ぐっさり言ってやったほうがよいのかなぁ。
ここまできつい言い方ではないにせよ、以前にちゃんと伝えたつもりなんだけど。
まぁ、今の彼は、とある試験を目指して勉強中の身だから、他者との接触が極端に減り、時には人恋しさのようなものが無性にかきたてられることもあるのだろう。そのこと自体は、わからないでもない。
でも、だからといって、会話やメールの相手を、勝手にそんなストレス解消の手段として使ってしまってもよい、ということにはならない。そんなものは、理由のうちに入らない。
第一、そういった、ある種独特の閉塞感のある生活は、自分が選んだものだろうに。覚悟は据わっていなかったのか?!
近頃は、彼からのメールを読んでいると、悲しい気持ちになってくる。
まるで、彼が過去に縋り付いているかのように思えて。
あまり気遣いの感じ取れない文面。
そのくせ、半ば無理矢理に昔の思い出を絡めてきて、会おうと言ったりするあたり、哀れみをも誘う。
そんな、魅力のない彼には、会いたいとは思わない。のみならず、メールのやり取りすらも億劫だ。
そういう意味では、もはや彼は過去の人。過去の思い出に生きる人、である。
ならばいっそ、付き合いを絶ってしまおうか、とも思うが、相手が苦境に立たされている(というほどでもないのかもしれないが)時に、知人として見捨てるような真似は、出来ればしたくない。
というのは、かつて私は、彼に多少世話になった、というか迷惑を掛けたことがあるからである。嫌な言い方だが、「借りがある」ようなものだ。(この表現で、私という人間の、心の狭さが浮き彫りになるなぁ…。)
だから、そう無下にあしらうのも、心が痛むのだ。同情では決してないが、彼の立場への共感は覚えなくもないし。
だが現実には、日々の雑事にとりまぎらせて、返信を伸ばし伸ばしにしている私がいる。
しかし…、こういう、いわば、
「相手を思いやるという偽善」
こそを、きれいさっぱりかなぐり捨てるべきなんだろうか…。
中途半端な親切(というか、お節介)などは、時として、奮起の足枷になってしまうだろうから。まだまだ自分を構ってくれる人がいる、そのことで、思わず知らず、甘えのようなものが生まれてしまうのやもしれない。そう考えると、ここはひとつ、無視を決め込んで、彼を突き放してみる、という手もありだ。
けれども逆に、それで彼が、社会からまたひとつ、取り残されたような気持ちになってしまったら…。努力のバネではなく、負の要素が出来てしまうのは、なるべく避けたい。
(などと書くと、
「あんた、自意識過剰なんじゃないの」
と指摘されそうだが、文面から察するに、彼はあまりよい状態でもなさそうなのだ。だから、そういう印象を拭えないのである…。)
一体、どうしたらいいのか、わからない。
何か、2日続けて人をネタにする、というのも何ですが。
やっぱり彼も忘却の彼方の人でしょうから、一応説明しておきますと、かつて私をモルモットに仕立て上げた人物です。今年2月の日記に書いています。
* * * * * * *
彼の考えが理解しがたい。
いや、人の考えていることというのは、他者にはわからないものだけど、そういう意味で言っているのではない。
彼の場合は、
「どうして、以前に注意したことを繰り返してしまうんだ!」
というようなものである。
正直言って、メールが面白くない。
うなぎパイ氏と同様、
「最近、何かいいことあった?」
といった問いかけが主。
…だから、何でそんなこと聞いてくるん? というより、何でそんな聞き方ばっかりしてくるん?
たとえ面白い話題があったとしても、それをあんたに提供する気、無いっちゅうねん。一方的にそういうふうに要求してくる人なんか相手にしても、楽しくないから。
…と、ぐっさり言ってやったほうがよいのかなぁ。
ここまできつい言い方ではないにせよ、以前にちゃんと伝えたつもりなんだけど。
まぁ、今の彼は、とある試験を目指して勉強中の身だから、他者との接触が極端に減り、時には人恋しさのようなものが無性にかきたてられることもあるのだろう。そのこと自体は、わからないでもない。
でも、だからといって、会話やメールの相手を、勝手にそんなストレス解消の手段として使ってしまってもよい、ということにはならない。そんなものは、理由のうちに入らない。
第一、そういった、ある種独特の閉塞感のある生活は、自分が選んだものだろうに。覚悟は据わっていなかったのか?!
近頃は、彼からのメールを読んでいると、悲しい気持ちになってくる。
まるで、彼が過去に縋り付いているかのように思えて。
あまり気遣いの感じ取れない文面。
そのくせ、半ば無理矢理に昔の思い出を絡めてきて、会おうと言ったりするあたり、哀れみをも誘う。
そんな、魅力のない彼には、会いたいとは思わない。のみならず、メールのやり取りすらも億劫だ。
そういう意味では、もはや彼は過去の人。過去の思い出に生きる人、である。
ならばいっそ、付き合いを絶ってしまおうか、とも思うが、相手が苦境に立たされている(というほどでもないのかもしれないが)時に、知人として見捨てるような真似は、出来ればしたくない。
というのは、かつて私は、彼に多少世話になった、というか迷惑を掛けたことがあるからである。嫌な言い方だが、「借りがある」ようなものだ。(この表現で、私という人間の、心の狭さが浮き彫りになるなぁ…。)
だから、そう無下にあしらうのも、心が痛むのだ。同情では決してないが、彼の立場への共感は覚えなくもないし。
だが現実には、日々の雑事にとりまぎらせて、返信を伸ばし伸ばしにしている私がいる。
しかし…、こういう、いわば、
「相手を思いやるという偽善」
こそを、きれいさっぱりかなぐり捨てるべきなんだろうか…。
中途半端な親切(というか、お節介)などは、時として、奮起の足枷になってしまうだろうから。まだまだ自分を構ってくれる人がいる、そのことで、思わず知らず、甘えのようなものが生まれてしまうのやもしれない。そう考えると、ここはひとつ、無視を決め込んで、彼を突き放してみる、という手もありだ。
けれども逆に、それで彼が、社会からまたひとつ、取り残されたような気持ちになってしまったら…。努力のバネではなく、負の要素が出来てしまうのは、なるべく避けたい。
(などと書くと、
「あんた、自意識過剰なんじゃないの」
と指摘されそうだが、文面から察するに、彼はあまりよい状態でもなさそうなのだ。だから、そういう印象を拭えないのである…。)
一体、どうしたらいいのか、わからない。
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