罪なプロポーズ

2003年10月12日
 
 この日は、友人の演奏会。
 彼女、ボーンちゃん(仮名)は、高校時代からの友人である。そして、この度は、彼女の最後の舞台になるらしい。なので、尚のこと行きたかった。
 しかし、またもや折悪しく、連絡を受けたのは、寝込んでいる時。そのため、返信メールが打てず、電話で返事をした。
 ほぼ同時期にメールが来たういろう氏への態度との違いに、優先度の差が表れているよな…。ま、当然だが。(*1)
 身体が思うようにならず、行けるかどうか直前までかなり気を揉んだが、薬が効いてくれたおかげで何とか無事に。本当によかった。


(*1)それというのも、その演奏会の日にちが迫っていて、なおかつ、彼女が親切にも「チケットを送る」と言ってくれていたので、返答に急を要したから、なのである。
 で、もし不調で行けなくなって、折角のチケットを無駄にしてしまっては心苦しいので、行けたとしたら自分で当日券を買うつもりだ…と事情を大まかに説明。
 しかし、へろへろの状態から立ち直ったばかりの私が、元気の無い声だったせいか、心配を掛けてしまい、却って悪いことをしたような気が…。まぁ、今更言っても仕方が無いが。そして、彼女はダメモト(と言うのかな?)でチケットを送ってくれ、結局それで聴きました、はい。

 ちなみに、手土産は、日持ちのする焼き菓子を選び、それに合わせて小振りの花束も…と考えていたものの、当日、その花屋が閉まっていて買えず結局菓子だけになってしまった。そして、それに添える小さな手紙を、演奏の合間の休憩時間にせっせと書いていた。本来はアンケート記入が望ましいのだが…。ああ、準備悪すぎるよ、私。でも、それもよしとしよう、うん。(強引)


 * * * * * * * 


 ボーンちゃんといえば、あることを思い出す。
 実は以前、彼女はしばらく付き合っていた男の人に振られたらしい。(それで一時、元気をなくしていたようだ。私(と、共通の友人たち)が話を聞いた時点では、少し回復していたのかもしれないが。<話せる、ということから、勝手にそう判断。)
 彼は、彼女にこんなふうに言っていたそうだ。

「いつか結婚しようね」

 それなのに彼は、彼女と別れ、その後ほどなくして、新たな女の人と付き合い始めたのだとか。


 …けっ。何て野郎だ。
 その話を聞いた時、私はそいつに腹が立った。そして心の中で悪態をついた。
 プロポーズまがいの言葉を口にしておきながら、そんな振舞は無いんじゃないのか? と思ったのだ。
 もっとも、上記のようなものでは、プロポーズとは呼べないのかもしれないけど…でも、それに準じるもの、ではなかろうか? 私自身は、プロポーズなんぞ、したこともされたことも無いので、ここに書いていることは、推測に過ぎないんだけど。


 しかし…その手の言葉は、もしかしたら、便利なように使われるのだろうか。
 相手の感情を繋ぎとめる手段として?
 あるいは、ふたりのその場の気分を盛り上げるだけの道具として? 
 ま、後者はふざけている(それはそれで、嫌だ。ある意味、さっきのよりも)し、多分違う。前者だろう。
 でもなぁ…。そんなのって、ありなのか?


 何が、なーにが、「いつか結婚しようね」だー!
 そんな、子供みたいなことをほざいているヒマがあったら、そのぶん(?)、もっと誠意を持って接さんかい!
…なんか、「誠意」って書くと、ついつい「誠意大将軍」(*2)なるものを思い出してしまうが。こんな自分がちょっと哀しい。

(*2)ご存知の方も少なくないだろうが、一応説明。浮名を流した某タレントが、交際を認めてもらうべく、…の筈が、殆どギャグとして名乗っていたもの。そういえば、「将軍」の衣装や幟なんかもあったな〜、確か。
 でも…。生真面目に使われがちな言葉は、冗談へと転化するのに格好の材料だとはいえ、これはいかがなものかと思うぞ、私は。アホらしいことこの上ない。(とか言いつつも、格好までも覚えている私も私か?)


 しかし、「いつか結婚」などという言い種が許されるのって、せいぜい小学生程度までだと私は考えていたのだが。違うのかな。
 まだ幼いうちに口にするからこそ、
「まぁ、可愛らしい」
と微笑ましくも解釈され得るのだ。現実味を帯びようが無いから。そんな約束なんぞ、所詮は子供の戯言。どのみち、長い月日のうちに流され忘れ去られるだけの、実に他愛無く平和なものである。

 けれど、大人であれば、シャレで済まなくなる。ある種の真剣さに感心するか、甘っちょろさに呆れるか、そのいずれかだ。
 今回の彼(もちろん後者だ)も、私から見れば、
「いい歳をして、何をほざいとるんじゃ」
と、蹴りの一発でも見舞ってやりたいぐらいのものである。<凶暴
 …見も知らぬ男に、何をそんなに怒り狂っているのだか、と言われそうだけど。(いや、こういう場合、面識が無いからこそ、尚更のこと、ためらいもなく憎悪を募らせることが出来るのかもしれないが。これがもし両者とも知り合いだったならば、私の場合、結果的に、怒りが相殺されて矛先が鈍ってしまいかねないから。)
 まぁ、それを純粋に(いや、「呑気に」か?<鬼ですな、私)信じ込んでしまったボーンちゃんの迂闊さも、無くはない。甘い言葉を囁かれて有頂天になっていたのならば、それはおめでたすぎる。酔いしれるほどの価値があるのか、冷静になって考えてみればよかったのに。とは、無理な相談か。

 だけど、そのことを差し引いてもなお、やっぱり彼に非があると思うよ…。
 別に私は、それを保険と捉えて、相手と向かい合う際に気を抜くのも仕方が無い、と考えているわけではない。ましてや、それを言質として、何かにつけ持ち出すことで、言われた側の優位が保たれる、と考えているのでも決してない。そんなみみっちいことが言いたいのではない。
 ただ、そんなに重い言葉を投げかけた相手ならば、そうそうたやすく手を離すものでもなかろうに…と、思うのだ。
 
 言ったぶんは責任を取れ。それが無理なら黙ってろ。何か言いたければ、せめて、そんな拘束力の高い言葉は使うな。空手形なんぞ渡すよりは、そのほうがずっといい。
 …などと考えるのは、ひょっとすると、私だけ、なのだろうか。


 ……そうかもしれない。こんなことを言っていては、そのうち、馬鹿を見る、のかもしれないな。
 でも、だからといって、そんな風潮を容認や助長なんぞしたくない。理解は一応しても、許容なんて嫌なのだ、私は。


* * * * * * * 


 とまぁ、その時の私は、心の中で憤慨するばかりで、彼女の慰めとなるようなことは何ひとつ言えなかったのだが。
 そして、今も言えないだろうが。そりゃそうだ、思い付かないのだから。人徳者でも何でもない私は、彼女に対して、何の力にもなれない。
(そもそも、「○○のために」という発想は、時として傲慢であり、危険にすらなり得る…と私は考えているのだけれど、それはまた別の話なので、今はこれにて省略。)
 だがそれでも、こうして時々、折に触れて会いに行き、元気な姿を見たり、話をするとまではゆかずとも二言三言交わしたり、ぐらいのことはして、細々ながらも友人付き合いが出来れば…とは願う。薄情な私ではあるけれど、そういう欲求は、ある。


 そんなちょっとした交流が、いつまで続くかなんて、それすらもわからない。けれど、せめてそれでも、出来るうちは、と。

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