靴紐の人
2004年6月13日 その日私は、とある人に話し掛けるべく、その人の予定が終わるのを待っていた。
(親しい仲ではないけれど。)
しかし彼は、出てきたと思ったら、すぐに私の横を通り過ぎた。
ああ、行ってしまったか…と思った、のだけれど。
ふと振り向くと、少し離れたところに、うずくまっている彼の背中が見えた。
…もしかして、気分が悪いのか?!
そんな心配もあって、思わず小走りに駆け寄った。
けれど、それは私の早合点だったようだ。
しゃがみ込んだ彼は、靴の甲に手を掛けていた。
単に、靴紐を結び直しているだけだったのである。
…そのおかげで、私は用件を伝えることが出来たのだけど。
その後、
「お忙しいところ、お手数を掛けてしまって…、すみませんでした」
と言ったら、
「いえ、全然」
という答えが返って来た。そりゃそうか。
というのも、彼はその時点で、当日の予定を既に終えていたからである。
だから…、そこで口にするのに適切なのは、
「お忙しいところ」
ではなく、
「お疲れのところ」
という台詞だったのだ。
それと、お礼の言葉も。引き留めたお詫びだけではなく。
ああ、こういうのが、私の到らないところなんだな、と思い知らされた。
しかし、自身の到らなさについての痛感は、今はさておくとして。
ふと気になったのは、彼の行為である。
しゃがみ込んだのは、本当に、靴紐を直すため(だけ)なのだろうか。
もしかしたら、違う意味もあったのでは…? と。
つまり、こういうことである。
彼は、私の意図を、何となく感じ取った。
けれど、確信までは持てない。
なのでとりあえず、靴紐を結びながら待ち、様子を見てみよう。
そこで私が近付いて来たら、その時に応じればよい。動くかどうかは、私に委ねる。
要するに、靴紐結びは、当座の時間稼ぎも兼ねていた、ということだ。
(ちょっと、私の思い上がりのように聞こえるだろうか…。)
もちろん、ご本人に尋ねたわけではなく、単なる私の推測ではあるが。
でも、何だか当たっているような、そんな気もする。
(ここからは、そうだと仮定して話を進める。)
そして、その判断に感謝することこそあれど、
「小狡い人だな」
なんてふうには、決して思わない。
むしろ、
「気遣い上手な人なんだな」
と感じた。
親しいわけではない相手に、話し掛けさせるだけの余裕を与え、それでいて、心苦しさは感じさせない。
気を遣っていることを前面に押し出さない、という配慮。
その上手さに、私は舌を巻いた。
ひょっとすると、この程度のことは、人付き合い(というか人あしらい)に長じている人にとっては、朝飯前なのかもしれないが。
でも、それでもよかった。それでも嬉しかった。
「そんなの所詮、計算ずくの行動じゃないか」
と鼻で笑う人もいるかもしれない。
でもね。
それで一体何が悪いのだろう、と私は思う。
悪意の無い押し付けがましさなんかよりも、便宜としての礼儀正しさのほうがずっといい、ということもあるのだ。
(親しい仲ではないけれど。)
しかし彼は、出てきたと思ったら、すぐに私の横を通り過ぎた。
ああ、行ってしまったか…と思った、のだけれど。
ふと振り向くと、少し離れたところに、うずくまっている彼の背中が見えた。
…もしかして、気分が悪いのか?!
そんな心配もあって、思わず小走りに駆け寄った。
けれど、それは私の早合点だったようだ。
しゃがみ込んだ彼は、靴の甲に手を掛けていた。
単に、靴紐を結び直しているだけだったのである。
…そのおかげで、私は用件を伝えることが出来たのだけど。
その後、
「お忙しいところ、お手数を掛けてしまって…、すみませんでした」
と言ったら、
「いえ、全然」
という答えが返って来た。そりゃそうか。
というのも、彼はその時点で、当日の予定を既に終えていたからである。
だから…、そこで口にするのに適切なのは、
「お忙しいところ」
ではなく、
「お疲れのところ」
という台詞だったのだ。
それと、お礼の言葉も。引き留めたお詫びだけではなく。
ああ、こういうのが、私の到らないところなんだな、と思い知らされた。
しかし、自身の到らなさについての痛感は、今はさておくとして。
ふと気になったのは、彼の行為である。
しゃがみ込んだのは、本当に、靴紐を直すため(だけ)なのだろうか。
もしかしたら、違う意味もあったのでは…? と。
つまり、こういうことである。
彼は、私の意図を、何となく感じ取った。
けれど、確信までは持てない。
なのでとりあえず、靴紐を結びながら待ち、様子を見てみよう。
そこで私が近付いて来たら、その時に応じればよい。動くかどうかは、私に委ねる。
要するに、靴紐結びは、当座の時間稼ぎも兼ねていた、ということだ。
(ちょっと、私の思い上がりのように聞こえるだろうか…。)
もちろん、ご本人に尋ねたわけではなく、単なる私の推測ではあるが。
でも、何だか当たっているような、そんな気もする。
(ここからは、そうだと仮定して話を進める。)
そして、その判断に感謝することこそあれど、
「小狡い人だな」
なんてふうには、決して思わない。
むしろ、
「気遣い上手な人なんだな」
と感じた。
親しいわけではない相手に、話し掛けさせるだけの余裕を与え、それでいて、心苦しさは感じさせない。
気を遣っていることを前面に押し出さない、という配慮。
その上手さに、私は舌を巻いた。
ひょっとすると、この程度のことは、人付き合い(というか人あしらい)に長じている人にとっては、朝飯前なのかもしれないが。
でも、それでもよかった。それでも嬉しかった。
「そんなの所詮、計算ずくの行動じゃないか」
と鼻で笑う人もいるかもしれない。
でもね。
それで一体何が悪いのだろう、と私は思う。
悪意の無い押し付けがましさなんかよりも、便宜としての礼儀正しさのほうがずっといい、ということもあるのだ。
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