ISBN:4007000379 単行本 斎藤 美奈子 岩波書店 2002/08 ¥798

内容(「BOOK」データベースより)
雑炊、すいとんだけではなかった戦争中の多彩なメニュー。米がない!食料がない!そのとき人々はどうしたか。日中戦争、太平洋戦争、敗戦までの食生活史を網羅。こんなものまで食べていた!究極の非常食を再現。戦争中の味がリアルに体験できるレシピ満載。写真で見る戦争中の暮らし。食べられる野草図鑑つき。「ぜいたくは敵だ」の時代の台所と食卓に迫る読めて使えるガイドブック初登場。



 近頃、節約番組をよく見る。
 「節約番組」とは、予算を抑えて作った番組…のことではなく、節約をテーマとした番組を指して言う。(私が今勝手に考えた名称である。)
 数名が各自1ヶ月1万円での生活を送って残高の多さを競うものだったり、あるいは、「ビンボーバトル」と称して普段の貧乏生活を紹介するものだったり(…どの番組のことだかバレバレだな)。時間帯も、ゴールデン枠から深夜まで、色々ある。

 「ビンボーバトル」のほうの番組名は、『●形金太郎』(略して『銭金』)といって、時々私の携帯フォト日記のネタにしている。(視聴者以外には、「一体何のことやら、さっぱり」という内容が多いですね、すみません。)結構楽しんで見ているのだが、しかしその一方で、
「これは、一歩間違えば、危険な方向に進んでしまいそうだ」
と感じることも少なくない。
 それでなくとも、『銭金』には、ちょっとねじれた感覚の人がよく登場するのだけど。そのねじれが、経済的な苦しさゆえに生じたものなのか、それとも元来から持っていた性格が環境(=困窮)によって引き出されただけなのか、どちらなのかは定かではないが(失礼)、ともかく、
「貧すれば鈍するとは、まさに、こういうことだな…」
と思うこともある。絶句せずに笑える程度・性質のものならまだしも、そうでない場合も度々見受けられる。

 そして、もうひとつ挙げた「1ヶ月1万円」のほうも、ちょっとなぁ…と思うところがある。
 野草を摘んで食材の足しにする、なんていうのは、
「自然の恵みを味わえて、あれはあれで時にはいいかもしれないな」
と考えられなくもないが、しかし、戦時中の食糧事情を思い浮かべてしまうのもまた事実。
 もちろんあれは、勝利(=相手の残高を上回ること)を目指して節約が繰り広げられているのだが、掲げられる目標の違いこそあれど、していることに大差は無い。1ヶ月単位で、しかも番組企画という枠内で行うのだからまだ大丈夫だが、もしも無制限・長期化すれば、精神的に参ってしまうような気がする。
 自然の恵み云々というのも、あくまで、余裕があればこそ言えることなのである。切羽詰まった状況だと、趣味的に節約を楽しむなんてことは、到底出来ないだろう。
 
 
 
 
 
 さて、前置きが長くなったが(前置きなんかい!)、一応ここからが本題。
 この本では、戦前の食文化から、終戦前後の食糧事情まで、書かれている。著者曰く、「当時の婦人雑誌に載った料理の作り方を通して、そんな戦争中の食の世界へあなたを誘うガイドブック」である(「はじめに」より)。

 戦争になれば食べ物が欠乏するのは何故か、戦争体験者でも勘違いをしているらしい。
「軍隊に食糧を供出させられるからでしょう?」
と、的外れなことを口にしたりするそうである。(…今、「勘違い」「的外れ」などと偉そうに言ったけれど、恥ずかしながら私も、そう思い込んでいるふしがあった。)
 本当の理由は、ふたつ。ひとつは、全ての産業に軍需が優先する(=農村の人手が手薄になる)ということ。そしてもうひとつは、経済封鎖や海上封鎖による、輸送の問題。
戦争は戦闘や空襲のことだと思ってしまいがちだ。しかし、戦闘は戦争のほんの一部分でしかない。戦争の大部分は、物資の調達、運搬、分配といったいわば「お役所仕事」である。日本政府と旧日本軍はそこを甘く見ていたということだ。

(傍線引用者。以下同様。)

 というわけで、題名について、本文の終わりの辺りに説明がある。
戦争になれば必ずまた同じことが起きる。戦争の影響で食糧がなくなるのではない。食糧が無くなるのが戦争なのだ。その意味で、先の戦争中における人々の暮らしは「銃後」でも「戦時」でもなく「戦」そのものだった。だから「戦時下」ではなく「戦下」のレシピなのである。

 なるほど。
 確かに、直接戦闘に関わらない一般国民の暮らしは「銃後」と呼ばれ、その苦労なんて前線の兵士に比べればまだまし、と軽んじられることがある。
 けれど、「一気にやられるのではなく、じわじわと痛めつけられるほうが、ある意味、辛いこともある」のかもしれない。イケイケ気分(←これまた、借用した表現です。)だった戦争初期はともかく、終盤は決して安穏と過ごしていたわけではないのだから。
 食に関する事柄は、身近ではあるが、卑近だとは思わない。食べ物のことよりも戦闘のことを考えるほうが偉い、というわけでは、決してない。ましてや、一般人の食糧よりも兵糧のほうが大切、などということもなかろう。(ちなみに、戦地では内地よりいっそう食糧に窮していた(食糧の補給や現地調達に失敗したから)、とある。)

(しかし…、「戦下」って言葉、あまり認識されていませんよね。今この文を書いていて漢字変換しても、別の単語4つしか出て来なかったし。
 ちなみに、意味はそれぞれ、以下の通り。
 戦火:戦争による火災・戦闘
 戦禍:戦争による被害・災難
 戦渦:戦争による混乱
 戦果:戦争・戦闘で得た成果
 知らなかった…。なので、自分のための備忘録として、この機会に書いておく。)


 最後に、あとがきを一部引用しておこう。資料をもとに淡々と語られる本書には数少ないながらも、著者の主張が述べられた重要な箇所である。(とはいえ、資料の収集・分析などを軽視しているわけではありませんので、悪しからず…。)

このような題材は、とかく感謝や反省の材料に使われがちです。「いまの豊かな生活を感謝しましょう」「いまのぜいたくな暮らしを反省しましょう」というわけです。しかし、当時の暮らしから、耐えること、我慢することの尊さを学ぶという姿勢は違うような気がします。こんな生活が来る日も来る日も来る日も来る日も続くのは絶対に嫌だ! そうならないために政治や国家とどう向き合うかを、私たちは考えるべきなのです。

 

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