行動が大切
2007年4月18日野良猫は座敷猫を見て、安全が保証された身の上を羨む。
座敷猫は野良猫を見て、野山を走り回る自由に憧れる。
しかし、相手に有って自分に無いものをあげつらっても、どうしようもない。
隣の花は赤く、芝生は青く見えがちだ。
娑婆の空気を吸いたい座敷猫は、畳を蹴って外へ駆け出せばよい。
今のうちに栄養と睡眠をとっておき、体力を蓄え脚力を鍛え、時機を窺う。
室内自主トレでは限度があるものの、そうして土の感触や空の色を存分に味わえばよい。
もっとも、それはあくまで、脱出の機会に恵まれたらの話だけどね。
たらふく食べて眠りたい野良猫は、媚を売るなり何なりすればよい。
狩りに備えて爪を研ぐ代わりに、優美な仕種を身に付け、入念に身繕いをする。
そうやって気に入られ、美味しい食べ物を貰い、ぬくぬくとした寝床を確保すればよい。
ま、その作戦が奏功するかどうかは、多分に運も作用するけれど。
(往々にして、世間ずれの無い仔猫特有の可愛さが求められたりするしね。
中猫(以降)の成熟した魅力だって、確かにあるものなのになぁ…。)
満ち足りないものがあるなら、行動に移せばいい。
時間と気力は、そこに費やすためにある。
愚痴を吐くためではなく。
もっとも、上記のふたつのみならず、他のカテゴリーが存在するかもしれない。
「普段は部屋の中だけど、時々こっそり抜け出して外を散策する猫」とか。
上手くやれる才覚が具わっていれば、それもありだよね。
ただし、ばれた時にはそれなりのリスクを負う覚悟も要るけれど。
それを考えると、
「風来坊だけど、時には気まぐれながらも人間と遊んだりもする猫」
のほうがよさそう。形ばかりの忠誠など示さない正直さの点において。
(いやそれとも、忠誠を装っておくほうがいいのか? たとえ形ばかりではあっても。
最近このことを考え出すと、迷い道に入り込んだようになって、わからなくなる。)
本当は、座敷や野良のように極端な立場ではなく、もっと柔軟な関係を築ければいいのかもしれないけれどね…。
しかしやはり、それは見果てぬ夢か。
コメント