最近の私の日記を読み返してみると、結構長い文章が多い。
 中身がそれ相応に濃いのならば、それもそれでよいが、どうも散漫な印象を覚える。
 ただのんべんだらりと書いて字数を増やせば良いというのでもない。時にはぎゅっと凝縮することも必要であろう。
 
 
 
 なのでというわけでもないが、今日は小ネタで。 
 
 * * * * * * *
 
 
 だいぶ前の話だけど。
 友人たちと一緒に、『現代〈死語〉ノート』(岩波新書)なるものを見ていた時のこと。
 
 1963年(昭和38年)のところに、
「奥歯ガタガタいわしたろか」
というフレーズが載っていた。
 
 これを見た友人のひとりが言うには、
「あれ? 『奥歯ガタガタいわしたろか』は、今でもよく使うよね〜」
と。
 
 …え?
 今でも、しかも「よく」使う、って…?
 
 彼女はその後、
「普段、一体どんな会話をしてるんや!」
と突っ込まれまくっていた。
 
 そんなわけで、彼女のこの日記での呼び名は、奥歯さん(仮名)に決定。
 …次にいつ登場するのかは知らないが。
 
 はい、私の名付けのセンスなんて、こんなもんです。
 
 一体何なんだ、と訝しがられそうな題名だが。
 着物の話である。
 
 
 近頃私は、時々和服を着ている。
 これまでは、正月と夏祭で身に着けるぐらいだったが(後者は浴衣)、今年に入ってから、身内の者から譲り受けたものを着るようになった。
 
 
 正月には毎年着ていたとはいえ、まだまだ初心者に近い状態である。
 いや、正確に言うと、「着ていた」のではなく、「着せてもらっていた」のだけど。だから、「初心者『に近い』」のではなく、もう本当に、ど素人であろう。
 
 
(余談だが、ある時、ムガイ氏に、
「和服って正月ぐらいにしか着いひん(=着ない)よなー。しかも、着付は人任せやし」
と話したところ、
「着せてもらっているのかー。でもそれは、『着ている』のうちに入らへんで」
と厳しい一言を食らってしまった。それがちょっと悔しくて、見返してやろうというのも、自分で着始めた理由のひとつである。
 どうだ、これで文句無いだろう、ムガイくん! ぬはははは!<大人げ無さ丸出し)
 
 
 というわけで、別段威張るほどのことでも何でもないけれど、なるべく着慣れるようにと、袖を通して、帯を結ぶ練習などもしている。今のところ、半幅帯を専ら文庫らしきものにこしらえることしか出来ないのだが…まぁいいとしよう。千里の道も一歩から。
 
 
 で、今日も、B子ちゃんと遊びに行く約束があったので、丁度良い機会だ、これ幸いとばかりに着て行くことにした。まだまだ慣れないのに外出だなんて…と眉をひそめる向きもあろうが、外で着てこそ練習になりそうだから、恥じらいやなんかは気にしないことにしている。
 
 
 駅で待ち合わせた時に、彼女は私のことが分からなかったらしい。まさか着物姿で現れるとは想像していなかった、とのこと。
 彼女は目を丸くして驚いてくれたし、着て行った甲斐があったというものだ。しめしめ、やったね。(相変わらず、大人げ無さ全開)
 しかし…、そんな、化け物をみるような目付きは、やめてよ…。私、そんなに似合ってへんのか?
 
B「いや、『誰か、着物の人がいるなぁ』と思ってたんやけど、それが猫さんやとは思わへんかったわ…」
 そうか。確かに、散髪してから会うのは初めてだから、別人と間違われても仕方が無いか…。
 実は、初心者ゆえ、今日もちゃんと着られるかどうか、自信が無かったのである。だから、和服を着て行く計画は知らせずにおいて、上手くゆかなかった場合には、その時点で洋服に変更し、事の経緯は黙っておこう…などという、せこい計算があったのだ。
 
 
 まぁ、そんなふうに、彼女は私の予想以上に驚いてくれて、私を楽しませてくれた。
 そのままふたりで、伏見の町をうろつく。
 …しかし、それにしても、荷物が重い…。
 この日またもやキ●クラに行き、酒やら何やらを買ったので、重量が一気に増えてしまったのである。
 両手に、紙袋と布製の手提袋を持つ猫またぎ。傍からみれば、恐らく不格好だろう。
 途中、B子ちゃんが気遣ってくれる。私の手荷物の重さの一部は、彼女によるものでもあるので。先日の私の誕生日にと、彼女はお酒をプレゼントしてくれたのである。
B「だって、猫さん、お酒を2本も買うとは思わへんかったんやもーん」
猫「…私も、Bちゃんからのプレゼントがお酒やなんて、知らんかったわ〜」
 手の平にずしりと紙袋の重みを感じながら、酒瓶3本を持ち歩く羽目になってしまった。
 
 教訓:荷物の問題は侮れない。お互い、考えを明らかにしておくのが望ましい。
 
(あ、苦しいながらも一応言い添えておくと、3本とも、大瓶ではないので…。そんな、大酒呑みでもないし。私なんて、ちょっと嗜む程度ですよ〜<と言うと、却って周囲から疑われたりもしてしまうけど…。本当なのに…。)
 
 
 その後、
猫「じゃあ、カラオケにでも行く? 私はこの格好やけど、どこへでも乗り込むで!」
とB子ちゃんを誘ってみたが、あまり乗り気ではなかったようだ。
 うーん、和服でカラオケ、別に悪くないと思うんだけど。帯なんか何のその、私も遠慮無く歌うぞー。(こんな時だけ、やる気満々)
 
 そして、カラオケは断わったというのに、B子ちゃんときたら、
「猫さん、私、『あ〜れ〜、殿、おやめくださいまし〜』『ふはは、よいではないか。苦しゅうない、近う寄れ』ってやつ、やってみたかってん。やっていい?」
 …今度は、私の方が断わりました。そんなに何重にも帯を巻きつけているわけではないので、くるくるくるーっと回すのは不可能だろう、ということで。(それ以前の問題だろう、という気もするが。)
 しかし、一体何を考えているんじゃ。>B
 
 
 とにかく、荷物を減らせない性分、そして、このがさつな振舞がどうにかならない限りは、和服をきれいに着こなすまでの道のりは、相当長そうである。
 
 
 
 そんなこんなで疲れてしまったので、今日は秘密日記は休みにします。
 帰り道での体力消耗が想定外だったな…。
(途中、草履の裏がべろーんとめくれたため、えらい難儀した。片足を勢いよく蹴り出すような格好で歩いていたのだ。<この辺りからして既に、「きれいに着こなす」のは、遥か彼方の見果てぬ夢である。)
 

何もかもが凍てつく

2003年1月29日
 朝、やけに窓の外が明るいな、そんなに晴れているならば布団でも干そうか、と思ったら、雪の反射光だった。
 立派なつららがと垂れ下がり、そこから水滴もぽたぽたと落ちている。よって、布団干しは延期。
 
 
 そうそう、今日驚いたこと。
 屋外の共同洗濯機を使った後に、すぐに干せばよいものを、暫く放っておいたのだ。外は冷たい風が容赦無く吹き付けて寒いから、取りに行くのが億劫で。
 そしたら、洗濯物が、半ば凍ったような状態になっていた。ハンカチなんか、もうぱりぱりである。部屋の中に持ち帰り、解凍。まるで、食品か何かのようだな…。薄々予想していたとはいえ、何だか可笑しい。

 しかし、驚いたのはそれではなく、その後のことである。
 掲示板に書かれてあった、大家さんからの伝言。
 
 
 「洗濯機が凍っていることがあります。ご注意下さい。」
 
 
 洗濯物のみならず、洗濯機自体も凍るのかー!!
 
 
 寡聞にして、知らなかった。
 あ、そういえば、この日洗濯する時も、
「いつもよりも水の出が悪いなぁ」
と首を傾げていたが、あれは放水口(?)付近が凍りかけていたのだろうか。でも、ひとまず無事に洗濯出来たからいいや。
 
 
 とまぁ、そんなところで、雪国の人々の、日頃からの冬の苦労を思った出来事だった。
 いや、もしかしたら、厳寒・豪雪地帯では、そもそも洗濯機を屋外に設置なんぞしないのかもしれないけれど。

薬指に光るのは…

2003年1月27日
 4カラットのダイアモンドリングというものを、初めて見た。直接ではなく、映像で、だが。
 いや、もしかしたら、今までにも見たことはあったのかもしれないが、記憶に残っていないので、実質初めてである。
 
 とにかく、4カラットなのである。
 何かもう、きらきらとしていて、眩いというか、ずっしりと重くて指が筋肉痛になりそうというか、いやはや、何と言えばよいのか。
 世界が違うんだなぁ、と思った。色々な意味で。
 
 もちろん、世界の舞台・プロの世界で活躍するスポーツ選手、しかも双方が有名で周囲の注目を浴びる立場、という時点で、既に全然違うのだが。
 私がしみじみ感じたのは、恥ずかしながら、もっと卑近な水準の話である。
 
 
 * * * * * * *
 
 
 私は時々、指輪をしている。
 もちろん、そんな仰々しいものではなく、普段遣いの銀細工である。石もついていない。資産価値など、期待するものでもない。
 とはいえ、私にとっては、大切な指輪である。
 
 しかし。
 私には、ある厄介な癖がある。
 手を洗う時には必ず指輪を外してしまう、ということだ。
 何だか、外してから洗わないと、ちゃんときれいになった気がしないのである。
 それは、外出時もまた例外ではない。
 
 前に、知人とふたりで、トイレに行ってから喫茶店に入ったことがある。ここでの彼女の名前を、ミカワさん(仮名)としておく。
 店で注文をし終えてから、どうも何か足りないような気がしてならない。
 何だろう? と、しばし考える。
 
 …指輪だ!!
 
 その場にミカワさんを残したまま、慌てて、店外のトイレまで戻る。
 果たして、その指輪は、私がそこに置いた時のままであった。
 ほっと胸をなで下ろす猫またぎ。
 
 その後、喫茶店に戻ると、ミカワさんの冷たい視線が。
ミ「もう、そんなん、置きっぱなしにしたらあかんやろー!」
猫「…はい」
ミ「私、もう絶対、見つからへんと思ったわ。盗られているかも、って」
猫「…心配かけました、ごめん」
ミ「大体、あんたは、どこか抜けているところがあるんやから、もっと気い付けや」
猫「……」
 確かにその通りなので、返す言葉も無い。
 
 だが、その次の言い分には、どうも頷けなかった。
ミ「猫またぎ、それがもし、誰かからプレゼントされたものやとしたら、どうするん? そんなん、泣くに泣けへんで」
 
 …え?
 誰かからのプレゼント?
 
 どこの話や。
 
ミ「あんたや、あんた!」
 
 へぇ、そう。
 ん?
 
 ミカワさん。あのさ、言っておくけど。
 私に指輪を贈ろうとしてくれる、奇特な殿方なんて、これまでひとりもいませんでしたよ。
 そして、これからも、その可能性は低いですよ?
 
 
 
 …と、自分で言って、ちょっとがっくりしてしまった。
 やっぱり、分かりきったこととはいえ、わざわざ口に出すものでもないな、と実感。
 
 
 ちなみに、今はめている指輪は、ふらりと立ち寄った雑貨屋で、たまたま一目惚れして購入したものである。もちろん、自分で。
 しかも、その時も、ミカワさんと一緒に出掛けていた時だった。
 だから彼女は、この指輪にまつわる色っぽい話なんて全然無いことは、とっくの昔に承知の筈なのである。
 それなのに、それなのに、そんなこと言うなんて〜…。
 思わず机に人差し指で「の」の字を書いて、いじけてしまいそうになった。
 
 いいのだ。別に、プレゼントじゃなくったって。自分で好きなのを買うから。デザインが気に入ったものを、大切に身に付けていればよいのだ。これでいいのだ。(強がり)
 
 でも、好きな人からのプレゼントならば、それはそれでまた、特別な喜びというものもあるのかもしれないな、きっと。(あくまで推測)
 
 
 
 そういえば、私は自分の薬指の正確なサイズを知らない。今持っているものは、他の指にしているので。
 薬指は、特別な日のために、大切にとっておきたいの。私って、実は古風だから。
 …というのはもちろん冗談ですが(そんな可愛げのある物言いは、私には似合わないような気がするぞ…)、確かにというか、やっぱり、多少は抵抗があったりして。
 
 とか何とか夢みたいなことをほざいている間に、指輪知らずの薬指になる可能性のほうが、日に日に高まっているのもまた事実ではある。
 ぐはっ。
 
 しかし、薬指のサイズは知らないのに、額の長さは知っているというのも、ちょっとどうだかねぇ…我ながら。
 額は8センチ(縦の寸法が)。さて、指は何号?
 
 
 そんなわけで、何かと煩悩をくすぐってくれた、4カラットのリングでありましたとさ。おしまい。(私の思考回路が。<自虐)
 
 
 * * * * * * *
 
 
 いや、実のところは、指輪繋がりで連想を呼んだのではなくて。
 しばらく前から、髪が伸びてきて視界の邪魔になるので、前に垂れ下がらないよう、ピンやヘアバンド、それにカチューシャの類でおさえているんですよ。
 そして、時には、頭頂部の髪をひとつに束ねていたりもします(主に室内)。
 そんな時、つい、ヤワラちゃんを連想するんですよ、私は。どうしても、試合中の印象が強くて。彼女の姿といえば、その髪型を思い浮かべる、と。
 
 そういう中で、丁度よい(?)タイミングで、彼女たちの婚約会見のニュースが飛び込んできた、というわけなのですね。はい。
 で、上記のようなことを、ぼんやりと考えたりしたのでありました。
 
 ともあれ、お幸せに。>おふたり
 
 
 * * * * * * *
 
 そういえば、あの大きさで4カラットならば、20カラットとは、一体どのぐらいの大きさなのだろう?
 とにかく、アホみたいにでかい、ぐらいにしかとらえられない。(などと言っている、他ならぬ私自身がアホですね、はい。)
 でも、昔、童謡か何かの歌詞で聴いた覚えがあるんだけれど。
 
♪デスモンドとモリーはふたりで〜
 ゆ〜びわを買いに行く〜〜〜
 財産はたいて買った〜
 ×××× 20カラットのダイアモンド〜♪
 
というのを。(「××××」部分、歌詞を失念。他のところも、多少違うかも)
 
 あの曲が流れる度に、
「そんなん、財産はたいてまで買うなよ〜」
と心の中でひそかに突っ込みをいれていた、幼き日の私であった。
 相変わらず、夢の無い…。
 
 先月半ばにもらってきた、山茶花の枝の、その後。
 それぞれに蕾が付いていたのだが、年始に数日留守にしている間に、どれもが花開くことなくぽとりと落ちていた。
 
 蕾のままで咲かずに終わった花。
 花として生まれてきたからには、咲いたほうがよかっただろうに…と思った。
 
 しかし、その後で、違う考えが芽生えた。
 たとえ、花を咲かせることがなくとも、別に悪くはないかもしれない、と。
 死んで花実が生るものか、という言葉があるが、何もそんなに、花や実のことばかりに必死にならなくてもよいのではなかろうか。
 
 よく見れば、花以外の部分、つまりは茎(枝)や葉は、結構しゃんとしている。
 一度は捨ててしまおうか、と考えたものの、思い直して、再び一輪挿しに生けた。
 
 これが、なかなかしぶとい。
 冬の室内、ろくに日も射さず、おまけに空気もよくなかろうが、葉を数枚散らしながらも、水を吸ってわりと元気にしている。
 嬉しい。
 
 
 
 いや、でもやっぱり、葉っぱ一枚だけでは、さすがに困ってしまうけど。闘病生活の心の支えにしてもらうべく、病室の窓から見える壁に描いた『最後の一葉』じゃないんだし。
 けれど、今こうして、青々と葉を茂らせている…とまではゆかずとも、水を吸い上げて懸命に生きている姿というのも、私は好きだ。「根っこが存在してこそ」、の植物の自然の摂理には反しているやもしれないが、元の姿からかけ離れたなりに、頑張っているのが、何だかいとおしい。健気な奴…。(とは、大袈裟か。)
 
 
 そういうわけで、花は咲かず、実も生らねども、もうしばらくは、葉っぱと私の共存生活は続きそうである。
 折角生きようとしているのに、その可能性まで私が摘み取ってしまうのは、ちょっとしのびなくて。
 

迷惑メール?

2003年1月24日
 真夜中近くに、携帯にメール着信。
 Eメールではなく、Cメールである。
 
(*)Eメール:普通の(一般的な)メール。
   Cメール:某携帯(●u)同士に限り、送受信可能なメール。
 
 
 普段私は専らEメールばかり利用しており、Cメールでのやりとりを殆どしない。
 ごくたまに入ってくるのは、どこぞの宣伝をしている、一方的なメールのみである。つまりは、よく耳にする、迷惑メールだ。
 
 
 だから今回もそれかと思い、読まずに早々に破棄しようかと一瞬思ったが、考え直して一応読む。
 
 
「○○(某人気番組名)に△△(食堂名)が。」
 
 その食堂とは、私の出身高校の近所の、ある意味、名物食堂である。
 慌ててテレビを付け、チャンネルを合わせる。
 
 …あの店、まだ営業していたのか。
 と、失礼な物言いをしてしまう、かつての客である猫またぎ。
(いや、何かと伝説のある店だったので。その詳細をここに書くのは控えるが。)
 
 
 見終わった後、改めて、
「そういえば、発信者は誰だろう」
と考える。署名無しのメールだったのだ。(発信者の電話番号なども、一切表示されないメールなのである。)
 思い当たる人物は、限られている。
 
1)私の高校時代の知人で
2)なおかつ、卒業後も連絡を取っていて
3)そして更に、携帯がa●
 
 これだけの条件を揃えている人は、元彼ぐらいのものだ。
 …そう、彼もまた、同じ高校の出身なのである。
 
 
 はっきりしないままなのも気持ちが悪いので、彼に確認の電話を掛けてみる。彼に連絡を取るのは、本当に久々である。
 
 …やっぱり大当たりだった。
 
 付き合っている当時は、あの食堂が地元の番組に紹介されていると、半ばどうでもよい(私としては、面白かったけれど)お知らせのメールを度々くれていた。私も負けじと(?)送ったりもしていた。(…似た者カップルだったのか?)
 
 しかし…、別れた後にもその手のメールが来るとは思わなかったよ…。
 
 
 なんで彼は、そんなに△△情報に執念を燃やしているのだろう?
 不思議に思って問うてみたところ、
「いや、偶然、見ていたテレビでやってたねん」
 そうか。でも、わざわざ私に知らせてくれなくても…。
「…知らせる人が、いいひん(=いない)から」
 あっ、そう。でも、その前に、無署名の理由として、
「複数人に送ったから、入れている余裕が無かった」
と言っていたんだけど。
 変なの〜。
 何もそこまで頑張って知らせてまわらなくてもいいのに。たかが(と言っては悪いかな?)地元の食堂情報じゃないか。
 
 
 
 その後は、お互いの近況などを話しつつ、しばし雑談にうち興じた。
 少なくとも声や喋り方から察する限り、彼はあまり変わっていないように思えた。良くも悪くも。
 …あまり進歩が無いのね。(意地悪な物言いの私)
 
 
 ひょっとして、私もそうなのだろうか?
 確かに、あれから新たに付き合った人はいないけれど。
 しかしそれは、
「彼の思い出だけを大切に抱えて生きてゆくわ!」
と心に誓ったからでは決してなく、単に次の人が出来なかったというだけの話であるが。
 まぁ、基本的にもてない人生を歩んできたので、そうそう機会は無いだろうな、とは漠然と感じていたけれど。
  
 そして、彼とよりを戻したいなどという考えも全く無い。
 
 

今日は何の日

2003年1月20日
 レスの日です。
 …と、私が今、勝手に決めました。
 
 書こう書こうと思っているうちに、ついごろごろと溜め込んでしまうのが私の悪い癖である。雪だるま式にレスのネタが膨らんでいってしまう。
 別に書かねばならないという義務は無いけれど、書きたいのに書けていないというままネタを腐らせるのも何なんで、今日(の日付の日記)は
レス専科で。
 

同い年の利点

2003年1月13日
 知人のムガイ氏(仮名)から、メールが届く。
 
「祝われて嬉しい歳かは分かりませんが、誕生日おめでとう」
 
 ありがとう。…でも、一言余計だけど。
 前半部分は要らんっちゅうねん。
 
 
 このムガイ氏、私の高校の同級生で、それ以来の知り合いである。音信不通の期間もあったのだが、私は彼の気性が嫌いではないので、現在は細々ながら連絡を取っている、という間柄である。
 その彼は3月生まれ。一方の私は1月生まれなので、高校時代から、
「俺よりも年上かー。おばさんや」
と、からかわれてきた。
 もちろん、言われた私は、
「失礼な若造め! 年上に対して、何たる物言いか」
と言い返している。
 いずれにしても、たった数ヶ月の差でしかないのだが。
 
 
 しかし、こういう言い合いが出来るのは、同い年ならでは、なのかも、と思う。
 違う歳の者同士だと、やっかみ、僻み、厭味っぽさなどが出てしまう恐れがある内容だから。年長者と年少者、どちらのほうが偉いとか価値があるとか、そんなことは、そもそも無いのだろう(と思いたい)けど。それでも、年齢に関する話題は、ある意味難しい。
 まぁ、彼もそれを分かった上で、私に対して言っているのだろうから、それで丁度よい。
 
 
 ともかく、今回のメールには、
 
「あと2ヶ月で、君も仲間入りじゃ、ふはははは〜」
 
という返事を送っておいた。
 
 
 そして、3月にはどんな逆襲をしようかと、今から考え中。
 妙案をお持ちの方いらしたら、お知らせ下さい。 
 
 …何だか、いかにも閑人っぽいな…。
 いや、閑というわけでもないんだけど。
 


 …もうとっくに、新年は明けていますが。
 
 実は数日前から、ネットには復帰(PCからの接続)していたのだけど。
 一昨日から昨日にかけて、年末の分(日付は28・29日)を付け足したり、他にもなんやかんやとしているうちに、もうこんなに経ってしまっていた。
 
 
 こんなのんびり者の私ではありますが、本年も、どうぞよろしくお願い致します。
 
 
 
 あああ、まずは、年賀状の返信をしなくてはー! 受け取るのは嬉しいが、それに、私は極度の筆無精というわけでもないが、
「書かねばならない」
と思うと、何故か強烈に嫌気が差してしまうのだ。
 なので、気心の知れた友人には、それをよいことに、忘れた頃に返事を出すことになってしまいそうである。
 いかんいかん。親しき中にも礼儀あり、なのになぁ…。
 
 せめて、小正月には間に合わせたいが…。(一応、先月に書いた文章のような言い訳は用意しているものの、それでもやはり気になってしまう私であった)
 

とは、よく言ったもので。
 
 前日に、青春18切符を利用して東京へ。
 …龍ちゃんに、図らずも、
「じゅ、18切符でいらしたのですか?」
と、尊敬語なんぞ使われてしまった。…それにしても、なんで動揺しているのだろう。そんな、どもるようなことか? …まぁいいけど。
 
 そして、この日は、とある催し(笑)の見物のため、正午に会場である建物に入る。
 …早すぎたか。去年は時間がぎりぎりだったので、今年は余裕を持って、と思ったのだが。(去年も来たんかい、という突っ込みは勘弁を…。)
 
 2時間もあり、更に言うと、髪の毛が少々汚れていたので、近くで銭湯を探そうかと考える。しかし、体調不良だったのを思い出し(←事情は察して下さい。)、諦めて、同じ建物内の散髪屋に行くことにする。そこならば洗髪が出来そうだから。もうひとつ言うならば、あまり移動しなくても済むから。(基本的に出無精なもんで…。)
 ついでに髪も切ってもらう。メインの目的とおまけの、主従の関係が逆転しているような気もするが、気にしないことにしよう。
 
 
 そして出来上がったのが、鬼太郎の女版。
 しかも、そこでの時間が予想よりも長引いて、主目的の催しは既に開始していたし…。
 私ってもしかして学習能力が欠如しているんだろうか、などと思ったりした。
 
 そういえば、18切符の旅も、疲れるとは知りながら、今回も強行してしまったのだったな…。
 あぁ、人間の学習能力は、一体いずこへ?
 
と思う今日この頃。
 相変わらず、心の中で、ブリザードが吹き荒れまくっています。
 凍結注意。
 冷たくなるのが嫌な人は、読むのをやめましょう。
 
 …と、予め注意報を出しましたから、読後の苦情は一切受けつけません。日記では強気な私。
 
 
 
 とある知人男性と会った。ふたりきりではない。…と、わざわざ書く必要なんぞ無いけれど。この日記での仮名を、ノーコン氏としよう。相変わらず、ひどい名付け方だ。だが、まぁいい。
 で、その彼の態度に、ちょっと腹が立ったのである。いつもの、というか、よくあることだが。(笑…えない)
 
 
 
ノーコン「女の人って、何かとお金がかかるんじゃないの?」
 
と、話の途中、彼は問うてくる。多分、服飾費のことを指しているのだろう。
 
猫「いや、別にそうでもないよ」
 
 女だから特にどうというわけではない、の意。ただし、他の部分では、そこそこかかっているかもしれない。切手代や書籍代など。あとは、葉書や便箋なども、わりとよく買う。紙製品にはお金を遣っているといえよう。
 
ノーコン「洋服なんかでもさ、色々買わなければならないし」
 
 別にそんな義務はどこにもない。
 
猫「いや、そんなことはないよ」
ノーコン「え、でもさ、次々に新しいのが売り出されると、欲しくならへん? 俺はそうなんやけど」
 
 あっ、そう。(思いっきり他人事)
 
猫「そうかなぁ? 私の場合は、気が付くと次の季節が来るから、またこの服に袖を通せる時期がやってきた、と喜んでいるよ」
ノーコン「……」
 
 日本には四季があるので、飽きる前に、暫くしたら違う季節の服を抽斗から取り出す楽しみを味わえる…と思うのは私だけなのだろうか。(なので、去年の秋はすぐに過ぎたから、ブラウスを着る機会が殆ど無く、残念に思ったものである。)
 
 加えて、私はそんなに流行の最先端を追った服を揃えているわけではなく、どちらかといえば、基本的な型のものを着ているので、そういう考え方になっているのである。(だから垢抜けないのか…?)
 
 いや、一応言い訳をしておくと、買い足すものが少ない、という話であって…全く買わない、というわけでもないんだけど。
 
 
ノーコン「(恐らく、気を取り直して)…で、でも、化粧品とかもあるやん。大体、月々いくらぐらいかかってるん?」
 
 そんなん知るかっちゅうねん。
 
B「えー、そんなん分からへんわ。月単位で決めて買うもんでもないし」
猫「…」(頷きで同意を表す)
 
 B子ちゃんはそうでもなかろうが、私は、化粧にもずぼらである。
 口紅は、以前は1年に1本の割合で使っていたが、近頃はめっきり消費が減り、2年に1本のペースになりつつある。(その代わりと言っては何だが、つや出しというか、荒れ止めは塗っているけれど。)
 ましてや、他の化粧道具に関しては、言うまでもない。化粧品会社の売上にあまり貢献していない女・猫またぎ。
 基礎物は幾つか買っているけれど、色物にはなかなか力が入らないのは…これはもう、性分でしょうか。
 
 
 あぁもう、それにしても、何々にいくらかかっただの何だの、うるさい!<彼
 そんなに人の懐が気になるのか? だとしても、いちいち尋ねてくれるなよ。あなたに貢がせているわけでも、ましてや、あなたと財布を共有しているわけでもないのだから!
 
 
 …と言いたかったが、ぐっとこらえて、心の中に収めておいた。
 
 
 この彼、
「女の人って、お金がかかるからねー」
が、口癖のようだった。この日、何度も何度も聞かされた。
 …そうなのかもしれませんね。
 
 ……でも、もうええっちゅうねん! それ以上、もう言わんといてくれや。
 
 
 もしかしたら、彼は、以前に女の人に、痛い目に遭わされたのかもしれない。金銭的に。
 それは、察することが出来ないでもない。というより、単なる私の想像だが。
 
 でも、でも、だからといって、それをひきずって、私(とB子ちゃん)にまで、ぶつけることは無いでしょうに。
 それとこれ(=私たちとの付き合い)とは別件である。
  
 そんなわけで、私は、色々言われて(聞かされて)、あまりよい気分ではありませんでした。
 過去の嫌な思い出(←あくまで私の推測に過ぎないが)はさておくとして、現在目の前にいる相手に、そんな寒々しい思いをさせない気遣いが、あらまほしきものですね。
 いや、それはもはや気遣いではなく、それ以前の、基本的な態度だという気もしますが。
 とにかく、もう少し、お勉強しましょうね。(日記では、偉そうな私)
 
 
 
 私のような、恋愛対象外に追いやっている女に対してだと、つい気を緩めて、色々喋ってしまったり、ぼろを出したりしてしまうのだろうな、と思う。
 ところがどっこい、しっかり見ています。観察しています。
 そして、面白いなー、今度日記のネタにしてやろう、とひそかにほくそえんでいたりします。(嫌な奴だ)
 ぼーっとした人間相手だからといって、油断しないようにね。>ノーコン氏
 ただの背景か何かだと思えるような人間(=私)にも、感知力や感情は、ちゃんとあるのだから。
 あまりにも見苦しい楽屋裏を、露骨に見せつけられたりすると、はっきり言って、げんなりします。
 
(*)『女たちのジハード』(篠田節子著/集英社文庫)の登場人物・康子の気持ちと、ちょっと重なる。私と彼女とは、周囲の環境や状況は多少異なれど、共感する部分は少なからずあるので。
 では、ノーコン氏は、さしずめ、シナリオライターの安藤、といったところだろうか。もっとも、彼と私は寝ていないけれど(笑)。そういう仲じゃないし。
 
 
 
 で、これが何故、表題に繋がるのかというと。
 こういう男の人って、結構、
「僕は、君への愛情は溢れているから」
などと、言いたがるのである。
 …そんな、何の腹の足しにもならん感情なんぞ要らんから、それを目に見える形で示せ。
 金銭を出し惜しみする口実に、愛などという言葉をたやすく使うな。
(今回の場合は、そういう仲じゃないのだけれど、まぁ、それに類する言葉である。)
 
 別に、経済力だけで男の人の価値を測るつもりは更々無いけれど、だからといって、
「あ、こいつは、そういうものを求めない(必要としない)相手なんだな。ならば好都合だ、財布の中身は温存しておこう」
と考えているのが見え透いてしまうと、がっくりするのだ。魅力激減。
 たとえ思っていたとしても、そんなにあらわに見せないでくれよ…。
 モノだけが全てではもちろんないけれど、でも、そんなけちくさい考えを、甘ーい言葉でくるみ込んで、飴玉のように仕上げて上手く隠しおおせたつもりになっている(しかし、見抜かれている)奴なんざ、最低やー!
 
  論より証拠を、見せてみろ。
 
 
 
 
 とりあえずは、彼のアドレス・番号を電話帳から削除決定。
 着信拒否にまではしないけれど、私から連絡を取ることは無いので。
 というわけで、折角付けた仮名も、このままお蔵入りになるのでしょうかね〜。(なら付けるな)
 
 そんな2002年。
 
 
 
 
 …うわぁ、やめよう、そんな悲しい言い方は!
 あんまりにもあんまりな総括である。
 
 
 この年の始めに、当時付き合っていた人と別れ、早いもので、もう1年。
 もはや、健全に枯れています。
 
 
 いや、実を言うと、全然興味が無い、というわけでもないんだけど。
(余談だが、この状態を表す際に、「渇望」という言葉を使ったところ、友人に大笑いされてしまった。
「何か、妙に切羽詰まった表現やなぁ、と思ってさ〜」
だそうな。いや、これはあくまで表現のみの問題であって…<しどろもどろ)
 
 
 でも、暫くブランクが出来て、今では、抱きしめる/抱きしめられる感覚すら、忘れつつあります。ましてや、人の唇の感触なんぞ、すっかり忘れ去っています。
 困ったものです。やれやれ。
 リハビリは、どのようにしましょうか?
 もしかしたら、ショック療法なんてのも、いいかもしれませんよ。(←どんなんや?)
 
 …なんてね。
 
 
 
 私は物言わぬ木石ではなく、体温ある生身の人間なので、時にはそういうことが欲しいなぁ、あってもいいんじゃないかなぁ、とも思ったりもするのでした。
 
 
 
 
 でも、次の一歩を、どのようにして踏み出せばよいのだろう?
 その疑問が、頭を離れない。
 
 
 私を受け入れようとしてくれる、奇特な殿方なんて、いるのだろうか。
 
 
 
 
 ましてや、今の私は、尼寺(のようなところ)で暮らしているものだから、新たな出会いの機会が殆ど無いに等しい。
 何だか、今更といった感のある言いぐさだが、世界の富の分配と同様に、こういうことに関しても、不平等というか大きな偏りがあるのだなぁ、と。(出してくる喩え話が大袈裟ですよ、猫またぎさん)
 それを、身を以って実感している次第である。
 …実感なんかしたくなかったけど。
 
 
 
 
 今日は、いつもにもまして、「何言ってんだか」という感じの文章ですね、はい。自覚しています。
 子供でもないのに、本当に、困ったものだ。
 
 
 B子ちゃんたちと出掛ける。他には、知人男性2名。おお、男女同数だ(*)。まるで、ダブルデートのようだ! 
 …いや、全然違うけど。デートのようなのは、人数だけであって、ちっとも色気の無い集団である。
 
(*)途中までは。後に龍ちゃん合流で、色気ゼロ集団の完成を見た。(←失礼な言い種)
 
 
 様々な食べ物の店が並ぶ中を、ぶらぶらと歩く。
 大阪土産の店で、暫く遊ぶ。
 おかめ(お多福)のお面を手に取ったB子ちゃん、即座に、
「うわ、これ、猫さんとそっくりー!」
 
 ……。
 
 ええ、わかっていますよ、B子ちゃん。言われるまでもなく。
 私が下ぶくれの顔をしているってことぐらい!
 
 その後彼女は、私の眼鏡をそのお面に掛けさせて、
「あら、猫さん、こんにちはー。どうしたの? 今日は顔色が悪いわよ」
などと話し掛けたりする。…そのお面に向かって。
 
 …くそーっ、ぐれてやるー! こんなん、新手の苛めやわー!!
 
 ということで、私の顔は、おかめ似であるようです。ただし、色白ではないので、白塗り前の状態です。
 ついでに言うと、年明けに髪を切ってから、前髪がてれっと垂れ下がりやすくなったので(それで実は、ちょっと困っている)、私の容貌は、
 顔の輪郭:おかめ
 髪型:ゲゲゲの鬼太郎
というようなものを想像すればよいかと思われます。
 
 …書いていて、我ながら哀しくなってしまったが。
 
 
 もうひとつついでに言うと、B子ちゃんは、私の額の広さまで測ってくれました。もう、ありがたくて涙が出そうです。…くそー、覚えてろよ!
「うわ! 猫さんのおでこ、8センチ!」
 いや、自分で測ったら、7センチ5ミリぐらいだったぞ。割増するな。いや、どうせなら、小数点以下は切捨てにしろ! 7センチや! と主張したが、あえなく却下。
 かく言うB子ちゃんは、4センチである。私が広いんじゃなくて、あんたが狭いんじゃ、あんたが!(←水掛け論)
 
 
 それにしても、最近、顔の肉がまた一段と立派になってきたような気がする…。
 これも全て、「隙あらば」とB子ちゃんが指で揉みしだくからである、きっと。(この日も例外ではなかった。)
 なので、ふにふにとつままれると、
「やめてー! 益々頬が伸びるやろ!」
と、その都度、抗議しているのだが。
 ちなみに、痛みは問題ではない。あまり感じないので。<脂肪が付いているのだろうか? そのせいなのか…?(どきどき)
 どうせなら、もっと別のところに付いて、出るところが出ればいいのになぁ…。
 
 と、下らんことを考えつつ、悪友と戯れた年末。
 
 
 故郷にて、昔の仲間たちと会う。
 そんなに疎遠になっていたわけではない。その年にもよるが、年に数回、集いましょうという計画が持ち上がる。出身校の春の定期演奏会、それに夏のコンクールの時期、などなど、都合の合う人が顔を出す。現役生たちとは、今は面識すら無いという状態だが、卒業生である私たちは、それらの機会を口実にして(?)集まっている。
 
 
 今回は、年末である。前回が、海外に渡る人の送別会を兼ねての年始(2月だけど)の鍋、そして3月の演奏会だったから、およそ1年ぶりである。
 今の私はあまり気分的にも体力的にもよい状態ではないので、ちょっと心配ではあった。しかし、元々出無精な自分がここで引っ込んでしまっては、益々人との接触が無くなってしまう! と思って出ることにした。
 どちらかというと、人好きというよりは人嫌いな私だが、他者との交流を、これ以上は途絶えさせたくはないのだ。(このあたり、改めて私の身勝手さが浮き彫りになる。)
 
 
 結局、行ってよかった、と思った。
 皆、大幅に変わったとは、ぱっと見る限りではわからない。だが、話をしてみると、歳月はそれぞれの身に、多かれ少なかれ変化をもたらすのだな、としみじみ感じる。
 それは、私も例外ではない、のかもしれない。(そうであってほしいと願う。)
 
 
 
 
「もうこの歳になると、世の中にまみれて、汚くなってしまった部分もあるけどね〜」
と、友人のうちのひとりが、ぽろっと言っていた。
 でも、そういうふうに、口に出して言えるということは、そんなに「汚い」わけでもないんじゃないかな? と私は思う。少なくとも、発言を憚ってしまうほどに、他者への猜疑心を募らせたりしているのではないみたいだから。ちょっと、逆説っぽい言い方だけど。
 そんなふうに、つい言ってしまう彼女は、まだまだ幼さが残っていて(よい意味で)、何だか可愛いなぁ、と思っている私。でも、そう思っているということを、口に出して伝えようとはしない。
 
 
 こうして集まって呑みながら喋るのでは、相手の事情などを知るには不十分だろう。じっくりと腹を割って話をすれば全てがわかる、というものでもないが、そうでなければ尚更のこと、限界があるに違いない。
 しかし、それでも別に構わない。
 
 
 今のところは、まずは、この春の演奏会で会えるかな、会えればいいな、ぐらいに思っている。
 彼らの顔を見ることが出来ただけで、嬉しい。
 良くも悪くも、そう思う。

 だいたい勘付かれていることと思うが、私はこの日記で、いや、ここに限らずネット上では、あまり自分の立場を明かさないことにしている。
 性別こそ嘘はついていない(登録時に要記入だったのだ)が、名前の欄は、
  姓:猫
  名:またぎ
という、実にふざけたことを書いて出してみた。そしたら、実際それで登録審査(?)を通ってしまったらしいので、これ幸いとばかりにそのまま通している。
 職業も伏せているし、生年月日も偽物である(これは、この日記の一番初めに書いたような気もするが、ここで改めて断わっておく)。
 
 別に、知られて困る、という事情も特に無い。
「実は私、○○(←誰か有名な人の名前)の情婦なの。道ならぬ恋だから、隠し通しているの」
とか、
「実は私、他国のスパイで、身元を悟られてはならないの」
といった秘密があれば、なかなかスリリングで楽しくて素敵(などというのも、不謹慎かな?)なのかもしれないが、残念ながら、そういうことも無い。
 なのに、何故明らかにしないのか、といえば、単に、現実の(といっては語弊があれば、「顔を出した」とでもしておこうか)自分と区別をしておきたいから、である。
 ひとえに、私の身勝手さゆえである。
 
 
 だから、ネット上の顔馴染の人たちで構成される、「仲良しの空間」に、私がのこのこと入っていってもよいものか…という疑問が、常に付きまとう。
 そして、自分はその輪の外側の人間なのだぞ、と自分で自分に言い聞かせるようにしている。
 内側の楽しそうな様子を、その外から眺める。それはそれで、また悪くもなかろう。
 傍から見れば、それはもしかしたら、淋しそうな光景かもしれない。でも、私はそれでよい。自分でそちらを選んだのだから、仕方あるまい、と思っている。
 
 
 とは言いつつも、習慣という美名をまとった惰性にまかせて、心惹かれるサイトにほいほいと足を運んでいたりする自分がいるのも、また事実ではあるけれど。
 で、あまりにも通い詰めて書き込みをしていると、他の人が入り込みにくくなってしまうのでは…との懸念も芽生えたりする。そのあたりの匙加減も、私としては、難しいところである。私は何事においても、あまり察しのよいほうではないので。
 
 この問題について、年内にきっちりとまとめておきたい、と思っていたのに…どうやら、今の私には、その時間も余裕も足りなさそうだ。
 尻に火が点くどころか、全身火だるまになってからやっと慌てふためく(そして、間に合わないことも往々にしてある)という、自分の呑気さに、我ながらつくづく腹が立つ。
 
 
 ああ、もうそろそろ時間切れ。
 これが年内最後の更新になると思います。
(実は私は、自分の専用機を持っていないので、年末年始はPCからはネット接続は出来ません。買えばよいのですが…いかんせん、ものぐさで。)
 どこかよさそうなネットカフェでも見つければ、そこからひょっこり現れるかもしれませんが。
 今のところ、その可能性は低いです。
 
 
 いつもにも増して、ずいぶん長々と書いてしまい、失礼しました。
 来し方を振り返り、柄にも無く、年の暮れに少々感傷的な気分になったりしながら、この辺りで今年はお仕舞にします。
 では、また来年会いましょう。
 お元気で!
 
 私のクリスマス。
 全裸で気持ちよくなっていました、と友人にメールで報告。
 
 
 …はい、温泉と各種マッサージです。
 色っぽい話なんか、私に降ってくる筈もありません。(この「降ってくる」という発想も、そもそも問題だが。待っているだけでは、駄目なんだよ…と自分に向かって諭す私。)
 
 種明かし、というか、詳細(上記)を読んだ彼女からの返事が来た。
「偉く贅沢じゃないのさ〜!!」
 どうやら、豪勢なものを想像したらしい。
 
 勘違いをただすべく、真相をまたもや書き送る。
「温泉には自転車で行きました。ちなみに、マッサージは、機械の無料体験のものです」
 近距離で、しかも天候もよかったから、自転車で十分なのである。
 いかにもな贅沢さには欠けるやもしれないが…、別に構わない。
 
 ついでに言うと、このマッサージは全裸で受けたのではない。ちゃんと着衣の状態であった。(当たり前)
 そして、普通のマッサージである。特殊マッサージ(別名・性感マッサージ)ではない。(これも当たり前)
 
 
 いやはや、こうして改めて書くと、何とも色気の無い聖夜ですな。しかも、正確に言うと、夜じゃなくて、太陽が沈む前の話だし(たまたま今年のイブは、時間があったので)。
 いや、そもそも、クリスマスは、元来は恋人同士でべたつく、というよりもむしろ、家族で祝うという意味合いが強い日、だったのだろうけど。
 
 
 
 まぁともかく、そういうわけで、今年は、実に清廉潔白なクリスマスを送りました。本人の意に反して(笑)。
 くそぅ、来年は、好いた人と一緒に、淫靡なときめきを味わってやるー! もっともっと、不潔な聖夜を過ごしてやるー!!(なんか表現間違っています)
 来年こそは、来年こそはー!(鬼が大笑い)
 
 
 実際、これといって浮いた話も無いというのに、噂だけ流されるなんて、ちっとも愉快じゃないもんなー。と、ぼそっと呟いてみたり。
 
 
 ま、将来の健康に、わずかながら投資したということで、よしとしよう。何より、気持ちがよかった、というのが一番である。
 と、苦しい自己フォローで締めくくる。
 

餅は餅屋

2002年12月21日
 あ、そういえば、正月用の餅、まだ買ってない! しまったー!
 
 いや、今回はそういう話ではなくて。
 
 
 
 暫く前から、カウンセリングなるものに通い始めた。
 とはいえ、現時点では、その準備というか、相談受付の係の方と、お茶を飲みながら談笑、といった段階なのだが。
 こんなことを言っては不謹慎なのかもしれないが、これが結構楽しい。
 前回は、お茶菓子というほどの格式張ったものでもないが、河童天国(12月16日の日記参照)で買った飴(*)を持っていった。
 話の種にもなり、よかったよかった。
 
 
(*)酒粕で作られた、軟らかな飴。たとえて言うならば、
「甘酒味のキャラメル」
である。この味・形状を説明するために、以前は、「酒入りミ●キー」
と、他社の製品名まで持ち出していたのだが、
「ミ●キーはママの味やろ。…それが酒の風味やとは、なんて恐ろしいママの味!」
との突っ込みを受け、何か代わりの適切な呼び名は無いものか…と考えた後、最近は、この「甘酒キャラメル」に落ち着きつつある。
 ついでに言えば、ミ●キーよりも、ふたまわり以上の大きさだと思われる。子供の口には、ちょっと大きいかもしれない。まぁいいけど。大人の味だから。←勝手な決め付け
 
 ちなみに、その年の新酒の絞り粕で作られるため、冬期(秋から翌年の春にかけて)限定の発売となっている。食べたい人は、暖かくなる前に購入を。とはいうものの、「冷酒飴」(軟らかくはないが、味は似ている)なるものも年中発売されているけど。
 …などと書いていると、キ●クラの回し者っぽいが、さにあらず。単に私が好きだから紹介してみただけである。(好き嫌いが激しい味かもしれないが、甘酒が好きな人は必ずや気に入るだろう、と思う。)
 なお、キャラメルと同じく、歯に詰物がある人は、それが取れてしまう恐れがあるので要注意、とのこと。歯医者でしっかり治してから賞味すべし。
 
 
 
 話が大幅にそれたが、とにかく、そのカウンセリングの話である。
 受付係の方は、専門的に心理学を修められたというわけではないそうだが(専攻は他分野らしい)、もちろん全く不適格な人がそのような立場に配置される筈も無く、その方も、変に我を張るでもなく、かといって玉虫色の意見ばかりを口にして論点の矛先をかわすでもなく、実に穏やかに話をなさる。
 それを聞いていると、気分が落ち着く。
 
 
 世の中には、
「カウンセリングなんぞ、弱った人の心を手玉に取ったインチキだ」
とか、
「過去をいちいちほじくり返している暇があれば、現在・未来に目を向けて、もっと生産的な活動をすべきだ」
などの、必ずしも肯定的ではない意見があるのも知っている。
 確かに、それらは完全には否定出来ない。
「こいつは財産を持っていそうだから、しこたまぶん取ってやろう。絞り取れるだけ絞り取って、あとは放ったらかしておいてやろう」
などと考える、悪徳業者も、いないでもない、のかもしれない。(あまり想像したくはないけれど。でも、そういう世の中だし。)
 でも、それでも私から言わせてもらうなら、
 独りで煮詰まってしまった考えを解きほぐす、という、そのことだけでも、存在意義があるのではなかろうか、と思ったりするのである。
 たとえ友人関係にある相手とはいえども、もちろん全能の存在ではないし、依りかかっているつもりはなくとも、重荷に感じられてしまうかもしれない。
 そんな時に、他では全く接点の無い相手、しかも、心理的な問題を専門に取り扱う人(学問として専攻されたとは限らずとも)と話をする、そのことで得られる効用も、少なからずあるんだな、と近頃実感している。
 まさに、餅は餅屋、である。
 
 
 まぁ、そんな気楽なことを言っていられるのも、私がまだ、お茶しているだけの段階だからなのかもしれないけど。
 
 

私信

2002年12月20日
というわけで、今日は秘密のみ。
 後日に本文も書き足すかもしれないけど、まずは裏日記がメイン、ということで。
 と、つくづく思った今日。
 自分のことです。はい。
 
 これがもし仮に、惚れたの何だの、といった程度の事柄ならば、ここまでは思わなかっただろう。
 でも、もっと重大な問題である…という可能性もあるから、かなり動揺している。
 
 
 はじめは、どこか自分の知らないところで、誰かの身に何らかの変化があったのかな、としか認識していなかった。
 だから、読んだ後は、半ば記憶がぼやけていた。
 そしてそれからの1ヶ月弱は、思い出さないままに日々が過ぎていった。
 
 しかし、今日の昼、たまたまとある人の新着日記(*1)をトップで見掛け、久々に読んでいると…。
 あれ? もしや…。
 そういえば、暫く前にも、似たようなことを書いていた人が他にも複数いたような…と考える。
 
 
((*1)以前に相互リンクをしていたものの、長らく更新されていないようだったので、私からお気に入り登録を外してしまった方です。ごめんなさい。…とここに書いても、多分、もう読まれていないと思いますが。)
 
 
 その後は、思い当たる人の日記の、その時期の日付けの記述を、次々に読み進めた。
 私が懸念した通り、少なからぬ人が、それらしきことを書いていた。時期もぴったりと重なっている。
 
 
 まさか。
 ここ1ヶ月ほどの間に、不思議に感じていたことが、結びついてしまって、しばし呆然とした。
 もし本当にそうだとすれば、合点がゆく、というか、複数の事柄が、符合してしまう…。
 
 
 今、すごくショックです。
 こういう書き方をしては、不謹慎に響いてしまうかもしれませんが、二重の意味で。
 ひとつは、そのこと(私の予測)自体。
 そして、もうひとつは、そのことに私自身が気付かなかった、ということが。
 
 
 
 今日の日記は、具体的な表現をなるべく避けたせいで、事情をご存知無い方から見れば、何のことやらさっぱり、といった印象のものになってしまったことと思います。
 でも、事柄が事柄なだけに、表で書くのは控えます。
 ごめんなさい。
  

河童天国

2002年12月16日
 この日は伏見へ。
 いつもならば京都まで乗るところを、途中下車し、キ●クラカッパカントリーへと向かう。
 
 この会社、表日記では一応、名前の一部を伏字にしてみたが、マスターズリーグの某チームのユニフォームの胸部分に、でかでかと社名を入れていたところである(…やっぱり、バレバレやな)。
 
 日記にはしていないが(時間が経ち過ぎて、ネタの鮮度が落ちまくってしまった為、ボツにしたのである)、この冬に、そこで行われた酒造り体験に参加した。
 その暫く後に、出来上がりを受け取って以来、そこには出掛けていなかったから、久々である。
 
 で、その河童の国。
 そのように名乗るだけあって、会社の商品売場のみならず、河童についての様々な展示もある。
 懐かしのコマーシャルの映像も見られる。時代の変遷が感じられ、なかなか面白い。
 
 
 しかし…。
 クリスマスらしき電飾の周りで、裸の河童が踊っているさまは、ちょっと似合わないような気がした。12月だから、季節に相応しい飾り付けか施されたのだろうし、河童はそもそも衣服は着ないから、それでよいのかもしれないけど…。
 でも、寒々しかったな…。自分ら、風邪引かへんのか?(それは多分、杞憂だが。)
 
 もちろん、そこの展示を眺めるのは楽しいし、私の好きなところなのだけど…、
 行った後は暫く、例の唄が頭の中でぐるぐると流れてしまうのが、少々困ったところではある。
 
♪カッパッパ〜 カッパッパ〜
 ド〜ンとキ●クラ カッパッパ
 ドンピリピン 呑んじゃった
 ちょーっといい気持ち〜♪
 
 やれやれ。
 
 
 

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